高等学校第55回卒業式 式辞


校 長  落 越 道 彦
 関東学院六浦高等学校第五十五回卒業式を挙行し、卒業生の皆さんに卒業証書を授与することができたことをまず神に感謝いたします。そして、卒業生の皆さん並びに保護者の皆様、ご家族の方々に心よりお祝いを申し上げます。
学校生活とは、様々な要因からなる環境のもとでの生活です。その環境で、自分がどう成長してきたかはなかなか自覚しにくいものですが、皆さんは確実に成長を遂げてきました。在校中慣れ親しんだ聖書の中から先程読んでいただいた箇所(マルコによる福音書4章26〜29節)は「人の知らない間に地に蒔かれた種は、土によってひとりでに、しかも確実に成長させられ、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。それは、あたかも神の国が人間の手を特別に煩わせないで、神の力によって発展的な形で到来する」ということを示しています。地の中に蒔かれた種は,土に隠れて見えないのが普通です。しかし、目には見えなくても、人の知らない間に土の中で着実に変化し成長して、実りの時期を迎えるのです。ここで言う種とは、イエスの言葉です。このイエスの言葉を聞き、それに倣う人のはたらきは、人知れず実りあるものへと変化させてくださるということです。このイエスの言葉に触れ、親しんできた皆さんは、人として貴重なことを蓄え成長させられてきていると言えます。
卒業後は、社会と直接的な関わりが強くなります。現代の社会は様々な言葉で表現されますが、その一つに「不安社会」があります。いつの時代にもあったはずのこの言葉が強調されるようになったのは、社会が恐ろしい勢いで変化し、また物質的に豊かになったことで生じる不安の内容が変化してきたことが原因ではないかと思われます。身近な例を挙げてみます。食に関しては、食べ物が不足し困窮状況による不安感というより、今はむしろ満ち足りている状況での健康不安、このままでは健康上の支障や心配が大きくなるのではないかという、言い知れぬ不安感です。ある民放テレビ局が手軽な食品を摂取することでダイエット効果があると放送した途端、食料品店でその食品が品不足になるほどの反響がありました。後日この放送内容が事実と異なり捏造されたものであったことがわかり、大きな社会問題になりました。また、長い間庶民に親しまれてきた老舗の洋菓子製造会社での食品衛生管理の不備が大きく取り上げられました。言い知れぬ不安があればあるほど、人々はその老舗というブランドに信頼を寄せ、その商品の品質に安心感を抱いていたのでしょう。それらを見事に裏切る行為でした。
社会問題化したこの二つの大きな出来事に共通する点の一つは、利益追求という立場に強く立てば立つほど、過去の失敗や他社の失敗を生かすことから目を背けてしまうことがあるということです。テレビ放送の場合は、過去にも同じ事例があったにも関わらず、視聴率を重視したために起こったことです。老舗洋菓子店の場合は、北海道のブランド乳製品製造会社が以前に大きな失敗をした例があったにも関わらず、それらは有効に生かされませんでした。
これらから、私たちはどこに視点を置き、どこを重要視し、どこに基盤を置く立場に立つかということです。それによっては、他の事例から学びそれを教訓にすることが時には難しくなってしまうということです。私たちは、ともすると直接自分と関わりのあること、不利益を被ることでないと、他人事として無意識に通り過ぎてしまう傾向があるのではないでしょうか。
不安社会、危険社会、コミュニケーション不足の社会、個人主義が蔓延する社会などとも表現される現在であっても、人は本質的に他者との関わりの中で生きて行くものです。そのために大切なことがあります。「他山の石」という言葉のように、他の人から学び取ることの重要性はよく指摘されます。そこから学び取ったこと、教訓とすべきことを生かしていくには、もう一つ必要なものがあると思います。それは、想像力です。自分の行為・行動や生き方・方針が、相手や周りにどのような影響を与え、感情、思いを抱かせるかを想像してみるのです。身近で目の当たりにする若者の行為から社会構造の中で起こる問題まで、想像力をはたらかせ、どう対処することが良いかを考えていただきたいのです。その際、どのような考え方や行動の基準をもつべきか、皆さんはもう身につけています。普遍的価値を持つ「人になれ 奉仕せよ」の意味するところの精神であり基準です。これは、実際に目には見えないものですが、間違いなく皆さんの中に根付いて実を結んでいます。社会の一員として自分の判断基準としてその実を生涯持ち続け、分かち与えるものになってほしいと思います。
皆さんの人生はそれぞれ異なりますが、本校で学んだことを胸に自信を持って巣立ってください。神の御慈しみと御導きを祈ります。卒業、おめでとうございます。